2011/12/11

プランBを持っておくことの大切さ

2011/12/11
仕事やその他の物事は、点から始まって展開していくことが多い。
登ったことのない山で、頂上までの最適な道は出発時には分からないでしょ。 だって、スタート地点からは全体像が見えないんだもん。 実際に歩いて初めて、本当の全体像も自分たちにできることも分かってくる。 つまり、点から展開して視点が広くなったら、それまでに手に入れた新たな点のどこかを基準に再度展開計画を立てることになる。 もし全く見当違いの事をやってそうだったら、全く違う場所へジャンプ(ゴールの変更や、一から計画練り直し)。 もちろん、登ったことがある山、他人が登ったことがある山、以前に登った山に似ている山の場合は、最適に近い計画が立てられるはずだが、それでも計画遂行に際し十分なスキルを自分が有しているかと言う点があるため、先人の計画で100% OKと言うことはほとんど無い。

計画策定者の胸の内は
つまり、計画とは一つ一つの判断ポイント(decision making pointとか呼ぶ奴ね)で分岐する樹形図のようになっているはずで、計画策定者はそれを分かっている。 でもそのような計画ではメッセージが伝わりにくく、聞き手に不安感を与えてしまうためか、ウケが良くない。 結果として、Aやって、Bやって、Cに到達、のように非常に一直線的でシンプルな計画提案になってしまう。 業界によっては、Aが上手く行かなければA'に再度トライし、みたいにある程度樹形図的な説明が必要なことがあるのは聞いたことがあるが。

で、何が問題か
実際に計画を実行してみると変更を余儀なくされるわけだが、当初の計画策定段階で樹形図的に考えていたならば、無理なくバックアッププラン(プランB)の提案とそれへの乗換えが出来るだろう。 しかし、自分が策定者であるにもかかわらず様々なケースを想定せずに(樹形図的な考えをせずに)、胸の内でも一直線でしか考えていない場合は問題である。 計画を実行してみて全て上手く行けば問題は顕在化しないのだが、何か上手く行かなかった際、例えそれがマイナーな障害であっても、やりたかったことが成し遂げられなくなるというリスクが高い。

つまり
様々なケースを想定しない原因は、想像力の欠如と言うよりは、他人のプレゼン等を聞いて、仕事とはそういうもの(一直線的な計画で進める)と誤解しているからだと思う。 もしくは同時並行的に手をつけている仕事が多すぎて、一つ一つの案件を十分に考える時間が取れていないのかもしれない。 どちらにせよ仕事(目的を達成すること)を上手く行うためには、様々なケースを考えておいて損は無い。 やってみることも確かに大切だが、やってみて考えるという場当たり的な考えでは普通の学生と大して変わらない(それをとてもプロフェッショナルとは呼べない)。 やってみてこうなったらこう、という最低限の計画は持っているべきである。

だんだん話がぼやけてきたが、つまり計画ってのは一直線モノではないので、樹形図的に事細か、までは行かなくとも、プランBとかプランCとかあらかじめ持っているほうが良いですよ、ということでした。





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2011/11/04

グローバル化について

2011/11/04
何を今更なタイトルだけど、現在TPPの議論に日本が参加するとかしないとかで世間が揺れているような感がしなくもない。 そこでグローバル化について、思うことを一寸書いてみようかと。

なぜグローバル化が必要?
そもそも論であるが、なぜグローバル化が必要なのだろうか? 黒船(外圧)がやってきたから? たぶん違うよね。 もしそうだとしたら、グローバル化によって得られるものは何も無く、単にカモにされて終わるだけ。 江戸後期の開国と不平等条約見ても明らか。
じゃぁなぜグローバル化するのか? それは何かしらのメリットを見出しているから。 これ以外に理由は無い。 別の言い方をすると、メリットが見込めないなら、グローバル化なんてやめてしまえばいい。 これは国家間の貿易協定レベルの話だけでなく、企業のグローバル化、個人のグローバル化でも然り。 わざわざ外国企業にカモられるために会社をグローバル化する必要はないし、奴隷のようにコキ使われるために海外でキャリア積む必要もなし。

で、メリットって何?
国家間の貿易に関する協定をグローバル化のほうへ傾けると、要するに海外のものが流入しやすくなる。 競争相手が増えるから生産者はたぶん嫌だよね。 でも消費者にとっては、選択肢が増えると言う意味で、これは歓迎のはず。 労働市場はどうだろ? これも同じだよね。 雇い主としては雇用の対象における選択肢が増える。 労働者にしてみると、競争相手が増えるので好ましくは無いよね。

企業の場合、単純に市場が広がる。 これは分かりやすい。 でもそれは販売網のグローバル化で企業のグローバル化ではない。 たとえば、“企業の”と考えると、生産効率化、ビジネスオペレーションの効率化も図れるはずなんだな。 でもそうなると国内の就労機会が減っちゃう可能性も。 昨今は企業の社会的責任とかの言葉も存在するけど、最低限の企業の社会的責任は納税と法律遵守くらいでしょ。 企業は利益上げてこそのもので、それが立ち行かなくなってくると、納税もできないし大量解雇だし、あまり良い結末は待っていない。 まぁつまり、ビジネスオペレーションの効率化のために国内労働者の割合を減らすようなことがあっても、それは企業が企業である限り、その決定はアリだと思う。

個人の場合、これはけっこう難しい。 何故かって、国家や企業の場合と違って価値観が多様すぎるから。 目的のキャリアデザインがあったり、レアなキャリアを積んでレア人材になりたかったり、そういうのは分かりやすい。 でも個人の場合、単にそれが楽しいから、という理由でコトを行なっても何の問題もないわけだ。 楽しそうだから、米国で現地スタッフとして採用されたい、とか(考えが浅はかと言われればそれまでだが、企業や国家と違いこのようなモチベーションで行動しうる)。 要するに他人から見て明確なメリットがなさそうでも、個人というのはグローバル化しうるし、実際そういう人は何人か見たことがある。 
しかしながら、個人レベルでも得られるメリットをよくよく考えてグローバル化するのがいいように思う。 たとえば、仕事をグローバルにマネージできるようになったら、その結果自分のプロジェクト遂行時に、多国間にまたがる人材を操り、より質の高い結果に結びつけることが出来る、とかそんなの。 まぁ、仕事がらみ(しかもグローバル企業で勤務しているというセッティングでしかありえない話)の例えで恐縮だが、個人がグローバル化するきっかけの殆どは仕事だろうからこれで許して。

マトメというか思うこと。
要は、グローバル化は外圧に促されて行なうものでもないし、やむにやまれずやるものでもない。 隣人や隣国が行なっているからやるようなものでもない。 メリットを見出してこそ、やるものである。 例え個人のグローバル化でも、そのプロセスには結構のエネルギーを投下する必要があるからね。 流れに乗る?? なんて理由は愚の骨頂ですよ。





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2011/08/11

ちきりんをフォローしてしまう理由

2011/08/11

まえがき
ちきりん、というと殆どの人は分かってくれるだろうが念のためちょっと紹介するとこのブログを書いている人である(Chikirinの日記)。彼女は自分のことについて言及することがあり、それから察するに海外でMBAを取得するなど輝かしい経歴の持ち主のようだ。その彼女が書いた本が一部ネット界隈では話題になっており、かねてよりブログを読んでいた私も買って読んでみた。買うときに初めて知ったが、本の帯の紹介文は、あのホリエモンこと堀江貴文氏から寄せられたもののようだ。“オヤジの説教本”とは、堀江氏が自身の出版物を謙遜してそう書いているのかな。

ちきりんの話に戻ろう。彼女自身がおちゃらけ社会派ブロガーと名乗っているだけあって、ブログの方はかなりおちゃらけ記事もある。たまにどこまでが正気でどこからがおちゃらけか分からないくらい(全部おちゃらけなのかもしれないけど)。一方、出版物として出されたこの本は、その毒気が抜かれており、より万人にメッセージが届きやすいように思えた。

なぜちきりんをフォロー?
なぜ私が彼女のブログや本をフォローしているのか? -これは殆どのFollowerがそうなのだろうが- 彼女の主張に共感する部分があるからである。ブログから伺い知れる彼女の推定年齢から考えると、彼女と私は世代が違う。専門も違うし職種も違うし性別も違う(たぶん)し、私は韓流ドラマに血道をあげてはいない。そして何より私は彼女のような輝かしいキャリアは持っていないし、これからも持てないだろう。

では彼女や彼女の経歴に憧れがありフォローしているのかというと、そうではない。この日本社会で生きている一人として、彼女の考えに共感する部分があるのだ。いや、もっというと、ちきりんの記事が日本の社会人の心(日本のネット社会人の心?)を掴むべく書かれているというべきか。

たとえば
彼女のブログには社会的弱者を題材にしたものがある。ワーキングプアと呼ばれる状態にある人々、働くお母さん、そして若者(若者という集団全体が社会的弱者だと言っても過言ではない)。対極にいるのが既得権益層で、彼女のブログでは既得権益層を脅かすようなアイディアが書かれていることが多い。

また、グローバル化に着いて行けていない日本社会・日本企業のことをテーマにして書いているエントリも多い。ドメスティック思考が抜けない日本の企業や社会に浸かっていると危険ですよ、と若者に警鐘を鳴らしているかのような。

私がなぜちきりんに共感?
前述したようにフォローする理由は共感する部分があるから。じゃぁなぜ共感してしまうのか?共感の原因は何なのか、を考えてみた。

私は別に混乱ラバーではない。しかし、明日も今日と同じ一日、来年も今年と大差ない、なんていう人生はツマラナイと思う(現在までの私の社会人生は平坦ではなかったので、自分の人生ツマラナイと思ったことは無いが)。

また私は、20代後半からは数年単位で海外に住んだり海外で働いていた。この時に養った肌感覚が、今の私の“常識”に強く影響を与えている。そのせいか、日本で社会人生活を送っていると違和感というか『なぜ?』と思うことがしばしばある。

恐らくこの二点あたりが、ちきりんのブログや書籍に共感してしまう原因なのではないかな、と最近思う。





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