2011/03/25

あなたが考えるストラテジーは本当にストラテジーですか?

2011/03/25

まえおき

最近ストラテジーとか戦略という言葉が横行していて、いやどっちも同じ意味なんだろうけど、そして猫も杓子もちょっとしたことをストラテジーとか言ったりして、それってストラテジーじゃねーよ単なる計画だよと思ってしまう場面も多い。 では、単なる計画とストラテジーは何が違うのかを私的な観点から書いてみる。

『子供の夏休みの計画』になっていないか?

よくよくビジネスシーンで、いやビジネスシーンだけじゃなくてもいいんだけど、紹介されるストラテジーは、往々にして単なる行動計画指針やプランであって、ストラテジーになっていない。 ストラテジーと言うより、『子供の夏休みの計画』みたいなことになってる。 

ストラテジーって日本語で言うと戦略。 戦略は、その名の通り戦に於いて自軍が目的を達成するための策(勝利したいのか、負けを最小限に喰いとどめるか、目的は色々でしょう。 勝つだけが戦略の目的ではありません)であるべき。 あなたが戦略やストラテジーと呼んでいるソレは、本当に目的を達成するための策略になってるのか、夏休みの計画になっているのか、よくよく考えたほうがいい。 でないと、自軍の兵隊を無駄に殺してしまうよ(自社のリソースを無駄に消耗してしまうよ)。 

そう、ストラテジーは自軍の兵隊の生き死にをかけた策略であるべきで、単なる『夏休みの計画』レベルのエセ・ストラテジーで自軍を危機に落とし込むなんて、リーダーの風上にも置けない人がやることだ。

計画とストラテジーの違い

ストラテジーのあるべき姿は、外部環境を十分に勘案して、他のプレイヤーのプロファイルとこれからの動きを十分考察して、その上で自分たちが自分たちの目指す立ち位置に立てるようにするために必要な行動指針である。 そしてあわよくば、と言うか殆どのきちんとしたストラテジーは、他のプレイヤーや競合他社が各々の強みを生かして市場で活躍してきても、それ自体が自社を成功へ向けて後押しする要素にすらなるように計算されている。

一方、巷で横行しているエセ・ストラテジーは、外部環境に対する考察が非常に甘い。 極端な話、ストラテジーと言いながら、なぜ自分がそれをやりたいか、なぜそれに(往々にして社会的な)意味があるかを長々と説明しているだけのこともあり、この場合はもはや聞くに堪えないというか微笑ましささえ感じてしまう。 私がソレを、単なる『夏休みの計画』レベルと呼ぶ理由も、外部環境に対する考察が甘い、もしくは全くないからだ。

なぜそうなるのか?

なぜそうなってしまったのかは私にも分からない。 でも、日本は元来ストラテジーとは無縁な社会だった可能性がある。 自分たちがやってきたことをこれからもやっていけば何とかなってしまう社会では、外部環境を気にする必要なんてほとんど無い。 なぜなら、他のプレイヤーも恐らくは去年と同じことをやるから、自分の立ち居地に不満が無ければ面倒で特別なことは何もしなくて良いのだ。 

一方、合併買収が日常茶飯事でビジネス内容の方針転換が朝令暮改レベルで行なわれる某国においては、外部環境の動向が自分の会社の生き死に直結する。 そのような社会では、いやおう無く外部環境に対するアンテナを張る必要があり、それを勘案して業務指針を考えるビジネス文化が根付いたのだろう。 いや、根付いたというのは言葉が甘くて、その能力が十分で無かった会社は、淘汰されてきたにちがいない。 だから欧米の会社が考えるストラテジーは、何重にも考えられていて、狡賢いとすら思わされることもある。

マトメになっていないマトメ

分野により多少の違いはあるのだろうが、グローバルビジネスは欧米が作った商慣行で行なわれている部分が大きい。 日本に本社がある会社ですら、世界に出て行くならば欧米仕立ての土俵に上る必要がある。 (戦う必要があるとはあえて書かない。 戦って勝つだけが、グローバルビジネスで成功する方法ではないからだ。) 欧米はもう何十年もこの商慣行と商環境でやってきており、上に書いたようにストラテジーが甘かった会社はそもそも淘汰されており強い会社が残っていると考えたほうが良い。 グローバル化を目指す企業またはそこで働くストラテジストは、自分の敵はかなりの策略家であると覚悟したほうが良い。 むしろ、策略で欧米グローバル企業を出し抜けるなんて、夢にも思わぬほうが良いのかもしれない。





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